今日もオアフ島は良い天気。
今日は、俺っちにしては珍しくダイビングをしない日なのだ。
ハワイでダイビングできるのにダイビングしないってのは今日が初めてかも・・・。
今日ダイビングをお休みしたのは、オアフ島の島内観光をしたかったからなのだ。
島内観光と言っても、普通の場所ではなくて、目指す目的地はカエナポイント。
カエナポイントに行ったことのないキコさんと一緒に行くことになったのだ。
オアフ島に住んで10年以上のキコさんも行ったことのないカエナポイントなのだ。
まずは、キコさんが明日からIDCで使うためのレンタカー屋さんに行った。
レンタカーで小型車をレンタル。
カエナポイントにはこのレンタカーで行った。
カエナポイントに行くという以外は何も決めていなかったのだが、パールハーバーにあるオーシャンコンセプトというダイブショップに寄る用事があったので、そこに寄ったついでに近くのアリゾナメモリアルに行くことに決定。
アリゾナメモリアルは入場料ただなのが行くことになった決め手だったりする。(;^_^A アセアセ…
まず入場券をもらうために並ぶ。
入場券には映画を見るための時間が書かれている。タダなのだが、指定券なのだ。
この窓口では、有料の潜水艦内見学チケットなんかも売られている。
入場券に書かれた時間まで1時間近く待つことになったので、俺っちは潜水艦見学をすることにした。
チケットは8ドルぐらいだったと思う。
この潜水艦の中を見学できるのだ。
対岸には、戦艦ミズーリー(左側)とアリゾナメモリアル(右側の白い建物)が見える。
潜水艦の甲板に移動。左下の階段を下りて艦内に入れるのだ。
いよいよ艦内に入るぞ!
階段を下りたところは艦首部分。そして、ここは魚雷の発射ルームなのだ。
前方上下2段に計4個の魚雷発射口が見える。
そして、魚雷発射ルームには乗員のためのベッドもあった。
ここは、潜水艦船内唯一の個室。艦長室だ。
艦長室は個室と言っても、超狭い!
俺っちには潜水艦は無理だ・・・・。
ここは潜望鏡なんかもある司令室。
潜水艦中央部だ。
壁にはびっしりと計器類やバルブやスイッチが並ぶ。
メカ好きには楽しいかも。
ここは食堂。
食堂も狭いです。
3段にベッドが並んでいた。
こんなところで寝るなんて、プライバシー全く無しですね。
潜水艦乗りは大変だ。
ここがエンジンルーム。
潜水艦自体は、電気で動くようだった。
このエンジンは発電用らしい。
エンジンルームを抜けると、艦尾に到着。
艦尾にも、魚雷発射ルームがあった。
これにて、潜水艦艦内見学は終わり。
このはしごを登れば甲板に出るのだ。
潜水艦の中の見学なんて初めてだったので、なかなかおもしろかった。
一度は行く価値有りと思った。
日本語音声の説明が聞けるヘッドホンを貸してくれるので、その説明を聞きながら回ると結構時間はかかると思う。
上の写真の右側にある数字はそのヘッドホンに入力する番号。
この番号は場所場所で異なっていて、この番号ごとで異なった説明音声が聞けるのだ。
狭い潜水艦内から、外に出てきました。
そして、艦橋に上がって機銃をさわる。(;^_^A アセアセ…
これにて有料の潜水艦見学は終わり。
アリゾナメモリアルの敷地内には、大日本帝国軍の回天が置かれていた。
回天というのは特別攻撃潜水艦で、一人乗りの玉砕用潜水艦(特攻)なのだ。
第二次世界大戦の悲劇の一つだ。
このあと、映画館のある建物に移動。
ただし、この建物に入る前にチェックポイントがあって、セキュリティの関係上バッグ類は一切持ち込めないようになっている。
小さなバッグもダメなので、荷物類は車とかに置いてくる必要がある。
中には、展示室があった。
そして、アリゾナ記念館の全体像の模型。
潜水艦アリゾナが沈む上に建物が建てられているのだ。
これは、引き上げられた魚雷。
そして、映画を見る時間が近づいてきたので、映画館の前に並んだ。
30分ぐらいの歴史映画を見る。
英語なのでよくわからなかったが、日本軍が真珠湾を攻撃して、アメリカが宣戦布告されたというような内容。
当然、日本軍のことは悪く、アメリカ軍のことは良く言われているはずで・・・。
映画を見たあと、桟橋に移動。
この船で、対岸のアリゾナメモリアルに行くのだ。
ここは、単なる観光場所と違って、アメリカ人の攻撃された慰霊の場所であるので、日本人は俺っちだけ。
あとは、みんなアメリカ人。
日本人が来るには肩身狭いかも・・・。
アリゾナメモリアルへ移動中。
アリゾナメモリアルに到着。
後方には戦艦ミズーリーがある。
これが、アリゾナメモリアル。
アリゾナメモリアルからは、下に眠る戦艦アリゾナの残骸が見える。
こんな風に、アリゾナメモリアルがある。
奥に進むと、真珠湾攻撃で亡くなられた人たちの名前が壁一面に書かれていた。
そう、ここは観光場所ではなくて、慰霊の場所なのだ。
海に花を投げて慰霊をする人もいた。
ビバ・アメリカ!
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